有価証券報告書-第93期(平成27年4月1日-平成28年3月31日)
沿革
当社は、大正9年9月に創始者石原廣一郎が、マレー半島ジョホール州スリメダン鉱山(鉄)を開発の為、大阪市に合資会社南洋鉱業公司を設立したのが始まりであります。
その後 大正13年5月 | マレー半島の鉱山(鉄、マンガン)を買収、また自社船で海運業を兼営 | |
昭和4年8月 | 商号を石原産業海運合資会社と改称 | |
昭和9年3月 | 株式会社に組織変更し、三重県に紀州鉱山(銅、硫化鉱)を開設 | |
昭和13年10月 | 四日市工場(三重県)建設に着手(昭和16年1月銅製錬所、硫酸工場完成) | |
昭和18年6月 | 海運業を日本海運株式会社に譲渡し、石原産業株式会社に社名変更 | |
昭和24年6月 | 企業再建整備法により解散し、第二会社三和鉱工株式会社を設立し再発足 同月石原産業株式会社に社名復帰 | |
昭和24年7月 | 東京・大阪両証券取引所に株式上場 | |
昭和25年4月 | 四日市に除草剤製造工場完成 | |
昭和27年7月 | 四日市に化成肥料工場完成 | |
昭和29年3月 | 四日市に硫酸法酸化チタン工場完成 | |
昭和33年6月 | 四日市に研究所開設(昭和38年6月中央研究所と改称) | |
昭和36年7月 | 四日市に硫安工場完成 | |
昭和38年3月 | 四日市に黄色顔料チタンイエロー工場完成 | |
昭和40年4月 | 中央研究所を滋賀県草津市に移転 | |
昭和45年9月 | 四日市に総合排水処理施設完成 | |
昭和46年6月 | 四日市に合成ルチル工場完成(平成6年3月生産終了) | |
昭和49年10月 | 四日市に塩素法酸化チタン工場完成 | |
昭和49年12月 | 四日市に硫黄専焼による硫酸工場完成 | |
昭和51年1月 | 肥料の製造販売を子会社石原肥料工業株式会社(平成2年2月に解散)に移管 | |
昭和53年5月 | 紀州鉱山を閉山 | |
昭和56年10月 | 四日市に有機中間体CTF製造工場完成 | |
昭和58年12月 | 四日市に磁性酸化鉄製造工場完成 | |
昭和61年8月 | シンガポールに、子会社ISKシンガポール社を設立し、塩素法酸化チタン工場建設 | |
平成元年8月 | 農薬の国内販売を子会社石原産業アグロ株式会社(現石原バイオサイエンス株式会社)に移管 | |
平成2年11月 | 米国の農薬事業会社を買収(ISKバイオサイエンス社) | |
平成3年4月 | 米国の磁性酸化鉄事業を買収(現ISKマグネティックス社) | |
平成5年3月 | 新石原ビル完成。同年4月に本店移転 | |
平成6年12月 | フランスにファインケミカル生産の合弁会社(SUD ISK-SNPE社)を設立(平成17年7月に共同事業契約を終了) | |
平成8年7月 | 欧州地域の農薬販売を子会社のISKバイオサイエンスヨーロッパ社に移管 | |
平成10年2月 | ゼネカ社(現シンジェンタ社)に米国の農薬事業子会社を売却 | |
平成11年2月 | 四日市で医薬品原末の生産開始 | |
平成13年3月 | ビデオテープ用磁性酸化鉄事業から撤退 | |
平成13年12月 | 四日市に遺伝子機能解析用HVJ-Eベクター製造設備完成 | |
平成17年3月 | 富士チタン工業株式会社を完全子会社化 | |
平成17年6月 | フェロシルトの自主回収(平成17年4月販売中止)を決定、その後各自治体から廃棄物処理法に基づく措置命令受領 | |
平成17年11月 | 中国に農薬販売の合弁会社(浙江石原金牛化工有限公司)を設立 | |
平成18年9月 | インドの農薬最大手UPL社と業務提携 | |
平成20年3月 | コンプライアンス総点検実施(再発防止策と併せ平成20年5月公表) | |
平成22年6月 | 環境商品本格販売開始 | |
平成22年9月 | 自家発電事業会社四日市エネルギーサービス株式会社を完全子会社化 | |
平成25年8月 | ISKシンガポール社の塩素法酸化チタン工場生産終了 | |
平成27年12月 | フェロシルト全量の最終処分完了 |