昭和13年5月 | 創業社長小倉弘士が東京市蒲田区(現・東京都大田区)において工作機械用多板クラッチの専業メーカーとして、小倉製作所を創業。 |
昭和19年4月 | 群馬県山田郡相生村(現・桐生市相生町)に工場移転。 |
昭和21年10月 | 自転車用発電ランプの製造開始。 |
昭和23年5月 | 工作機械用精密部品の製造販売のため小倉精密工業㈱を設立。 |
昭和27年5月 | 小倉製作所廃業、小倉精密工業㈱休眠、朝香工芸社が事業を継承。 |
昭和29年2月 | 朝香工芸社を法人化し朝香工芸㈱を設立。 |
昭和32年4月 | 朝香工芸㈱を㈱小倉製作所に社名変更。 |
昭和35年7月 | ㈱小倉製作所、本社を東京都中央区に移転。 |
昭和36年5月 | ㈱小倉製作所を小倉クラッチ㈱に社名変更。 |
昭和37年1月 | 大阪出張所を大阪市西区に開設。(現・大阪営業所:東大阪市) |
昭和37年10月 | 小倉精密工業㈱が小倉クラッチ㈱(実質上の存続会社)を吸収合併、社名を小倉クラッチ㈱とし、本社を桐生市相生町に移転。旧本社を東京営業所とする。 |
昭和38年5月 | 店頭登録銘柄となる。 |
昭和39年5月 | カークーラ用クラッチの生産販売を開始。 |
昭和40年2月 | カークーラ用クラッチの対米輸出開始。 |
昭和41年1月 | 大阪出張所広島分室を広島県広島市に開設。(現・広島営業所:広島市南区) |
昭和42年7月 | 現住所に本社移転、第一工場新設。旧本社を第二工場とする。 |
昭和44年9月 | 名古屋出張所を名古屋市中区に開設。(現・名古屋営業所:名古屋市南区) |
昭和44年10月 | 第三工場を群馬県桐生市に新設。 |
昭和44年11月 | ニューヨーク駐在員事務所開設。 |
昭和49年9月 | 北陸出張所を石川県金沢市に開設。(現・北陸営業所) |
昭和49年9月 | 赤堀工場を群馬県佐波郡赤堀町に新設。(現・伊勢崎市赤堀鹿島町) |
昭和52年2月 | 九州出張所を福岡市博多区に開設。(現・九州営業所) |
昭和55年2月 | 東洋クラッチ㈱に対し、資本参加。(持分法適用関連会社) |
昭和60年5月 | 信濃機工㈱に対し、資本参加。(現・持分法非適用関連会社) |
昭和60年8月 | 香林工場を群馬県佐波郡赤堀町に新設。(現・伊勢崎市香林町) |
昭和63年1月 | アメリカ・ミシガン州デトロイトにオグラ・コーポレーションを設立。(現・連結子会社) |
昭和63年10月 | 東京精工㈱に対し、資本参加。(現・連結子会社) |
平成8年12月 | フランス・ノール県ヴァランシェンヌにオグラS.A.S.を設立。(現・連結子会社) |
平成10年1月 | アメリカ・ニュージャージー州サマーセットにオグラ・インダストリアル・コーポレーションを設立。(現・連結子会社) |
平成11年10月 | ブラジル・サンパウロ州サンパウロにオグラクラッチ・ド・ブラジル・リミターダを設立。(現・連結子会社) |
平成12年6月 | アメリカ・ミシガン州マジソンハイツにヒューロン・プレシジョン・パーツ・コーポレーションを設立。 |
平成13年11月 | マレーシア・セランゴール州シャーラムにオグラクラッチ・マレーシアSDN.BHD.を設立。(現・連結子会社) |
平成14年2月 | ㈱コーヨーテクノ(現・小倉テクノ㈱)に対し、資本参加。(現・連結子会社) |
平成15年5月 | 中華人民共和国広東省東莞市に小倉離合機(東莞)有限公司を設立。(現・連結子会社) |
平成16年6月 | 中華人民共和国江蘇省無錫市に小倉離合機(無錫)有限公司を設立。(現・連結子会社) |
平成16年12月 | 日本証券業協会への店頭登録を取消し、ジャスダック証券取引所に株式を上場。 |
平成18年9月 | 東洋クラッチ㈱(持分法適用関連会社)に対し、追加出資し子会社化。(現・連結子会社) |
平成19年12月 | オグラ・コーポレーション(現・連結子会社)を存続会社とする吸収合併により、ヒューロン・プレシジョン・パーツ・コーポレーションは消滅。 |
平成20年7月 | タイ国ラヨン県アマタシティにオグラクラッチ・タイランドCO.,LTD.を設立。(現・連結子会社) |
平成22年4月 | ジャスダック証券取引所と大阪証券取引所の合併に伴い、大阪証券取引所JASDAQに上場。 |
平成25年5月 | 中華人民共和国浙江省湖州市長興県に小倉離合機(長興)有限公司を設立。(現・連結子会社) |
平成25年7月 | 東京証券取引所と大阪証券取引所の統合に伴い、東京証券取引所JASDAQ(スタンダード)に上場。 |
平成26年6月 | インド共和国ハリヤナ州にオグラクラッチ・インディアPVT.LTD.を設立。(現・連結子会社) |
平成27年8月 | 第二工場を閉鎖、生産を赤堀工場に移管。 |