有価証券報告書-第161期(平成30年4月1日-平成31年3月31日)

【提出】
2019/06/26 14:06
【資料】
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【項目】
144項目

沿革

1893年9月創立者棚橋寅五郎は個人経営の棚橋製薬所を東京麻布において創業。
1915年9月株式会社組織に変更、社名を日本製錬㈱とする。
当時主要製品はクロム塩、珪酸ソーダ、硫酸アルミニウム。
1924年12月子会社東洋電気工業㈱を設立。黄燐、赤燐等の燐製品の製造を開始、親会社日本製錬㈱は順調に発展。
1935年3月小松川第二工場の建設により苛性カリの製造を始める。
1935年12月1907年7月創立の日本化学工業㈱を合併。
亀戸工場(顔料、バリウム塩)郡山工場(燐製品)の2工場を加える。
この合併後、亀戸工場のみを独立させ、再び日本化学工業㈱の社名を継承させる。
1941年12月日本化学工業㈱が東洋電気工業㈱、日本硫曹㈱を合併、三春工場、西淀川工場とする。
1944年3月日本化学工業㈱を再び合併し5工場を統合。社名を日本製錬㈱から現在の日本化学工業㈱に変更。
1949年5月当社株式を東京証券取引所に上場。
1949年6月当社株式を大阪証券取引所に上場。
1949年7月当社株式を新潟証券取引所、名古屋証券取引所に上場。
1950年3月無機顔料製造販売の東邦顔料工業㈱(現・連結子会社)の株式を取得。
1950年4月郡山工場に熔成燐肥製造設備を建設し、肥料部門を新設。三春工場で農薬の製造を開始。
1951年4月当社株式を札幌証券取引所に上場。
1953年1月村上工場を建設、熔成燐肥の製造開始。
1969年4月旭電化工業㈱(現㈱ADEKA)との共同出資により鹿島臨海工業地帯に関東珪曹硝子㈱を設立。
1970年4月愛知工場を建設、燐酸を製造開始。
1970年5月森村商事㈱、M.&T.Chemicals社(米国)と共同出資により愛知県幸田に日本エムアンドティー㈱(1991年3月日本エムアンドティー・ハーショウ㈱に社名変更)を設立。
1971年8月徳山工場を建設、クロム塩を製造開始。
1973年5月同和鉱業㈱(現DOWAホールディングス㈱)との共同出資によりバリウム塩製造のバライト工業㈱を設立。
1985年12月三井東圧化学㈱(現三井化学㈱)、ラサ工業㈱との共同出資により湿式精製燐酸製造の協同燐酸㈲を設立。
1990年3月村上工場を閉鎖。
1991年3月電子計算事業の㈱ニッカシステム(現・連結子会社)を設立。
1991年4月環境に関する測定、証明事業の㈱日本化学環境センター(現・連結子会社)を設立。
1992年8月富士化学㈱との共同出資により珪酸ソーダ製造の京葉ケミカル㈱を設立。
1992年10月郡山工場、三春工場を統合し福島工場とする。旧郡山工場を福島工場第一工場、旧三春工場を福島工場第二工場と改称。
1994年2月日進ケムコ㈱との共同出資により亜酸化銅製造のエヌシー・テック㈱を設立。
1994年4月空調設備機器設計施工販売の日本ピュアテック㈱(現・連結子会社)を設立。
1994年10月産業廃棄物処理並びにリサイクル事業の日本クリアテック㈱を設立。
1994年12月亀戸工場を閉鎖。
1995年7月日本エムアンドティー・ハーショウ㈱の全株式を売却。
1996年2月米国にJCI USA Inc.を設立。
1997年3月日商岩井㈱(現双日㈱)、澄江燐業化工鳳麓有限責任公司(中国)、澄江県水電開発公司(中国)、香港時興投資有限公司(香港)との共同出資により中国に黄燐製造の雲南盤橋燐電有限公司を設立。
2000年6月福島工場を組織分割し、旧福島工場第一工場を福島第一工場、旧福島工場第二工場を福島第二工場と改称。
2002年12月名古屋証券取引所、札幌証券取引所上場廃止。
2003年4月大阪証券取引所上場廃止。
2004年3月バライト工業㈱を清算結了。
2004年6月岩谷産業㈱他との共同出資により中国に電材用バリウム塩の製造販売の日化(成都)電材有限公司を設立。
2005年2月協同燐酸㈲を清算結了。
2006年11月日本ピュアテック㈱が空調設備機器の設計施工及び販売のジャパンルーワ㈱(2010年11月ルフトテクノ㈱に社名変更)の全株式を取得。
2010年8月
2011年9月
2012年10月
2012年12月
2014年4月
中国に捷希艾(上海)貿易有限公司を設立。
西淀川工場を閉鎖。
日本ピュアテック㈱がルフトテクノ㈱を吸収合併。
日本電工㈱(現新日本電工㈱)のクロム塩事業を譲受。
日本クリアテック㈱を吸収合併。
2014年6月日化(成都)電材有限公司を清算結了。
2017年3月雲南盤橋燐電有限公司を清算結了。
2017年8月タイ王国にJCI(THAILAND)CO.,LTD.を設立。
2018年7月日本ピュアテック㈱がロックゲート㈱の全株式を取得。