有価証券報告書-第97期(平成25年4月1日-平成26年3月31日)
沿革
設立の経緯
当社の前身たる富田商会は大正5年に発足し、日本窒素肥料株式会社水俣工場の原材料、製品等の輸送に従事したのが創業の端緒で、以来、同社と緊密な提携をなして昭和16年には同社の系列に入り、商号を日窒運輸株式会社と変更し、同社の運送部門を担当しておりましたが、昭和20年終戦とともに財閥解体諸法令の適用をうけて解散のやむなきにいたりました。
その後、いち早く日窒運輸株式会社の有志社員により事業再建がはかられ、当社が設立されました。
当社の前身たる富田商会は大正5年に発足し、日本窒素肥料株式会社水俣工場の原材料、製品等の輸送に従事したのが創業の端緒で、以来、同社と緊密な提携をなして昭和16年には同社の系列に入り、商号を日窒運輸株式会社と変更し、同社の運送部門を担当しておりましたが、昭和20年終戦とともに財閥解体諸法令の適用をうけて解散のやむなきにいたりました。
その後、いち早く日窒運輸株式会社の有志社員により事業再建がはかられ、当社が設立されました。
昭和21年7月20日 | 大阪市北区宗是町1番地に扇興運輸商事株式会社を設立 事業目的「物品の売買並びに一般代理業」(のち、削除) |
昭和21年8月 | 目的追加「一般貨物の運送および運送仲介」(のち、変更)、「倉庫業」 |
昭和21年10月 | 目的追加「海運業事務代行」(のち「海上運送事業」他に変更) 商号を扇興運輸株式会社に変更 |
昭和23年9月 | 目的追加「鉄道小運送業」(のち「鉄道利用運送および運送取次事業」に変更) |
昭和26年7月 | 目的追加「一般貸切貨物自動車運送業」(のち「貨物自動車運送事業」に変更) |
昭和28年6月 | 延岡運輸株式会社を合併 |
昭和36年8月 | 扇興汽船株式会社を合併 |
昭和36年10月 | 大阪証券取引所市場第二部に上場 |
昭和45年10月 | 大阪市北区芝田町65番地の1に本店移転 |
昭和48年10月 | 商号をセンコー株式会社に変更 |
昭和50年3月 | 大阪証券取引所市場第一部に上場 |
昭和52年4月 | 株式会社センコー計算センター設立(現連結子会社・センコー情報システム株式会社、昭和53年4月現商号に変更) |
昭和55年8月 | 南港PDセンター(大阪市)開設により、総合複合機能倉庫(PDセンター)建設に着手 |
昭和57年10月 | 株式会社オー・エー・エス設立(現連結子会社・センコー商事株式会社、平成元年3月現商号に変更) |
昭和60年8月 | 大阪市北区芝田二丁目7番18号に本店移転 |
平成2年2月 | 東京証券取引所市場第一部に上場 |
平成3年6月 | 物流二法の施行に対応して、事業目的を全面的変更 |
平成8年7月 | 総合交通・物流研修施設「クレフィール湖東」開設 |
平成10年2月 | 中国・広州に「広州扇拡物流有限公司」を設立 |
平成12年8月 | 大阪市北区大淀中一丁目1番30号に本店移転 |
平成13年7月 | センコーリース株式会社をオリックス株式会社へ譲渡 |
平成14年3月 | シンガポールに「Senko International Logistics Pte. Ltd.」を設立 |
平成17年8月 | 中国・上海に「上海扇拡国際貨運有限公司」を設立 |
平成17年8月 | 中国・大連に「大連三興物流有限公司」を設立 |
平成19年7月 | 株式会社エーラインアマノの事業を譲受し、センコーエーラインアマノ株式会社を設立 |
平成21年2月 | 東京納品代行株式会社を子会社化 |
平成21年4月 | イヌイ運送株式会社を子会社化 |
平成21年7月 | 株式会社丸藤を子会社化 |
平成21年10月 | 江坂運輸株式会社、阪神運送株式会社を子会社化 |
平成23年9月 | 株式会社スマイルを子会社化 |
平成24年1月 | 中国ピアノ運送株式会社を子会社化 |
平成25年10月 | アスト株式会社を子会社化 |