明治42年2月 | 創設者・故栗本勇之助が合資会社栗本鐵工所を千島工場に創設し、水道及びガス用鋳鉄管の製造開始。 |
昭和9年5月 | 組織を株式会社(資本金250万円)に変更するとともに、機械部を新設して、産業機械、製缶、鋳鉄、鋳鋼の製造開始。 |
昭和13年3月 | 住吉工場を新設し、製缶工場及び機械工場を建設。 |
昭和15年11月 | 傍系会社、明光重工業㈱を合併し、加賀屋工場とする。 |
昭和24年5月 | 東京・大阪各証券取引所市場第一部に上場。 |
昭和35年11月 | 松戸工場を新設し、軽量鋼管の製造開始。 |
昭和43年9月 | 交野工場を建設し、住吉工場の軽量鋼管設備を移設。 |
昭和44年3月 | クリモトビルを新築して、本社を現在地に移転。 |
昭和44年5月 | 泉北工場を建設し、バルブの製造開始。 |
昭和46年8月 | 埼玉工場を建設し、軽量鋼管の製造を開始。 |
昭和47年12月 | 堺工場(後に大阪臨海工場と名称を変更)を新設し、鉄構製品の製造を開始。 |
昭和51年4月 | ㈱名取製作所を合併し、埼玉工場を含めて名取工場(後に埼玉工場と名称を変更)とし、鉄構製品の製造を開始。 |
昭和59年1月 | 札幌工場を新設し、軽量鋼管の製造を開始。 |
昭和59年8月 | 南港製品センターを開設し、ダクタイル鉄管の物流センターとする。 |
昭和62年4月 | 新日本パイプ㈱を合併し、堺工場とし、小口径ダクタイル鉄管の製造を開始。 |
〃 | 若宮工場(後に福岡工場と名称を変更)を開設し、軽量鋼管の製造を開始。 |
平成元年8月 | 堺築港工場を開設し、物流基地と鉄構製品の組立工場とする。 |
平成3年10月 | 広島工場を開設し、軽量鋼管の製造を開始。 |
平成10年7月 | 関東物流センターを開設し、ダクタイル鉄管の物流センターとする。 |
平成10年8月 | 仙台工場を開設し、軽量鋼管の製造を開始。 |
平成12年5月 | 知多工場を開設し、軽量鋼管の製造を開始。 |
平成13年10月 | 古河工場を開設し、軽量鋼管の製造を開始。 |
平成14年3月 | 千島工場を閉鎖。 |
平成14年10月 | 広島工場を閉鎖。 |
平成14年11月 | 岡山工場を開設し、軽量鋼管の製造を開始。 |
平成15年3月 | 松戸工場を閉鎖。 |
平成16年3月 | 栗本建材㈱を吸収合併。 |
平成17年9月 | 埼玉工場を閉鎖。 |
平成18年12月 | 南港製品センターを閉鎖。 |
平成19年3月 | 泉北工場を閉鎖。 |
平成19年11月 | 橋梁関連事業を栗本橋梁エンジニアリング㈱へ分割承継。 |
平成20年10月 | 環境事業を㈱クリモトテクノスへ事業譲渡。 |
平成21年3月 | クリモトファイナンス㈱を吸収合併。 |
平成21年4月 | ピー・エス・ティ㈱を吸収合併。 |
平成21年8月 | 栗本橋梁エンジニアリング㈱を売却。 |
平成21年10月 | 栗本化成工業㈱・クリモトメック㈱・栗本細野㈱を吸収合併。 |
平成22年1月 | 水門事業を事業譲渡。 |
平成26年3月 | 旧堺築港工場(遊休資産)譲渡。 |